パルティアのコイン


  安息は大月氏の西数千里ばかりのところにあります。
  その習俗は、土着して田を耕し、稲麦をうえています。葡萄酒があります。
  城邑は大宛のそれのようです。大小数百城邑で、地は数千里四方にわたっています。
  最も大国で、嬀水に臨んでいます。
  市の民があって商売しています。
  車と船を用いて近傍の国にゆき、あるいは数千里の遠方まででかけます。
  銀で銭をつくり、銭の模様はその王の顔です。王が死ぬと、銭をあらためて新王の顔の模様にします。
  皮革に横書して記録します。
  その西は条枝(シリア)で、北には奄蔡・黎軒(ローマ)があります。
                ・・・ 『史記・大宛列伝』


  パルティアは、紀元前247年ころ、イラン北部のパルティア地方にアルシャケスが建国した国です。 アルシャケスのギリシャ名アルサケスの発音から、中国には「安息」と紹介されました。
  ギリシャ文化を愛し、コインの単位にはギリシャの「ドラクマ」を採用し、裏面にはギリシャ文字を刻みました。
  アルメニアやシリアの領有をめぐって、常にローマと戦っていた国です。

ミトラダテス1世のドラクマ銀貨 (BC171〜138)
表:王の像。耳覆いのついたヘルメットをかぶっている。
裏:弓を持つアルサケス1世椅像。
3.2g 19.5mm
フラータケスのテトラドラクマ銀貨 (BC2〜AD4)
表:王の像。
裏:座している射手。弓は王権のシンボル。
11.5g 25.9mm
 裏面の銘文 :
 上:ΒΑΣΙΛΕΩΣ ΒΑΣΙΛΕΩΝ (諸王の王)
 右:ΑΡΣΑΚΟY ΕYΕΡΓΕΤΟY (アルサケスの、善をなす)
   ΑΙΤ (セレウコス暦311年=西暦紀元前2/1年)
 下:−−−−−− ΔΙΚΑΙΟY (正義を行う)
 左:ΕΠΙΦΑΝΟYΣ ΦΙΛΕΛΛΗΝΟΣ (神の化身の、ギリシャ愛好の)
オロデス2世の銅貨 (BC57〜38)
表:王の像。
裏:4つの塔。
2.0g 13.3mm
ヴァルダネス2世のテトラドラクマ銀貨 (AD55〜58)
表:王の像。
裏:立っているTycheから王権を受け取る座った王。王の頭の前に「ZΞT」の文字があり、これはセレウコス暦367年(西暦55/56年)を意味している。
11.4g 27.2mm
ボロガセス3世のドラクマ銀貨 (AD148〜192)
表:王の像。
裏:座している射手。
3.6g 18-20mm
エラム王国のテトラドラクマ銅貨 (AD1〜2世紀)
エラム王国は、パルティアが衰退した頃にバビロニアの東側に自立した国です。後にササン朝ペルシャに併合されました。
14.1g 26-28mm


BC247ころ アルシャク、パルティアを建国。
BC228 セレウコス朝が侵入。
BC123-87 ミトラダテス2世。パルティアの最盛期。
 ヘカトンピュロスからクテシフォンに遷都。
 「王中の王(バシレウス・バシレイオン)」を名乗る。

BC53 ローマのクラッスス将軍を敗死させる。
 この後、ローマとは8次にわたる戦いを行う。



AD207ころ 内紛が起き、国が二分する。
AD226 ペルシャ王アルダシールにより滅ぼされる。


 セレウコス暦
  パルティアのコインには、発行した年を刻んだものがあります。この当時使われていた暦はセレウコス暦というもので、アレクサンドロスの武将セレウコスが自立した紀元前312年を紀元とする暦です。
  上のヴァルダネス2世のコインの「ZΞT」はギリシャ文字で367のことで、セレウコス暦367年(西暦55/56年)を意味しています。
  なお、ギリシャ文字の数字は次のとおりです。
    Α(1) Β(2) Γ(3) Δ(4) Ε(5) F/V(6) Ζ(7) Η(8) Θ(9)
    Ι(10) Κ(20) Λ(30) Μ(40) Ν(50) Ξ(60) Ο(70) Π(80) (90)
    Ρ(100) Σ(200) Τ(300) Υ(400) Φ(500) Χ(600) Ψ(700) Ω(800) (900)

参考文献:
  「シルクロードのコイン.エーゲ海からガンダーラまで」、古代オリエント博物館・岡山市立オリエント美術館、1979
  野口定男訳、「中国古典文学大系12.史記下」、平凡社、1971
  "Greek Coins and Their Values", Seaby, 1978
  "Roman Coins and THeir Values", SPINK, 2000

2007.10.18