「即興詩人」

  デンマークの童話作家として知られているアンデルセンがイタリアを旅したのは、1833〜34年のことです。 当時のイタリアは、ナポレオンの支配下から離れたものの、まだ統一されておらず、北の「サルジニア王国」(首都トリノ)、南の「両シチリア王国」(首都ナポリ)、中央の「ローマ教皇領」(首都ローマ)の他、「オーストリア帝国」の領土や小さい諸公国からなっていました。
  アンデルセンは、ローマ滞在中から『即興詩人』の筆を起こし、1835年に発表しました。
  この作品が日本で有名なのは、森鴎外が紹介したからです。 鴎外の『即興詩人』が発表されたのは明治25年から34年にかけてのことでした。
  

 ● 少年の歌
  アントニオ少年は、ローマの貧しい町で、母と二人暮らしでした。 歌の得意な少年でした。
  ■われは高く朗なる聲して歌ひしに、人々聞きて善き聲なりといひき。或る時英吉利イギリス人の一家族、我歌を聞きて立ちとまり、歌ひをはるを待ちて、をさらしき人われに銀貨一つ與へき。母に語りしに、そなたが聲のめでたさ故、とのたまひき。  [森鴎外訳]
  ■私は澄んだ高い声で歌い、歌声が美しいと人に言われた。あるときなど、家族連れのイギリス人が立ち止まってじっと耳を傾けていたが、歌い終わって私たちが立ち上がると、主人らしいりっぱな紳士が私に銀貨を1枚くれた。 「それは、お前の美しい声に感心なさって、くださったんだよ。」と、母はいった。  [鈴木徹郎訳]

 ● 母の死
「スクード銀貨」 1834年 26.3g 37.4mm
この物語が生まれた年に発行されたコインです
表はローマ法王グレゴリウス16世です
  あるとき、母と近くの町の花祭りを見に行きました。
  祭りが盛んになった頃、突然馬車の馬が暴走してきました。
  アントニオ少年は投げ飛ばされ、気を失ってしまいました。 気がついたとき、母は亡くなっていました。
  お葬式の日、馬車の持ち主がアントニオ少年にお金を届けてきました。
  ■此貴人の使なりとて、「リフレア」着たるしもべ盾銀たてぎん(スクヂイ)二十枚入りたるふくろを我におくりぬ。
  ■はでなお仕着せを着た従僕が、母なし子となった子どもにと言って、紳士の使いで20スクーディの金貨が入った袋を届けてきた。
  スクード(Scudo,複Scudi)銀貨は、当時の最大の銀貨です。 Scudoとは「盾」のことで、鴎外は「盾銀」と訳しています。 20枚あれば、少年ひとりなら、1年くらいは暮らせる金額です。 (鈴木訳では「金貨」としていますが、スクード単位の金貨が通常の生活の中で使われることは稀でした。)

フォルム・ロマーヌム

しばらくして廣きところに出でぬ。こゝは見覺あるフオヽルム、ロマアヌムなりき。常は牛市と呼ぶところなり。
高き石がきは、まつはれたる蔦かづらのために、いよゝおそろしなり。青き空をかすめて、ところどころに立てるは、眞黒まくろにおほいなるいとすぎの木なり。こぼれたる柱、碎けたる石の間には、放飼はなしがひうさぎうまあり、牛ありて草をみたり。

 ● ダンテの『神曲』
  アントニオが学園の生活をしていたころです。 ローマのナヴォーナ広場を散策していたとき、露店台の中に一冊の詩集に目が留まりました。
「グロッソ銀貨」 1777年 1.3g 18.6mm
半パオロに相当します
  ■我懷には猶一「パオロ」ありき。こは半年前ボルゲエゼの君が、小遣錢にせよとたまはりし「スクヂイ」の殘にて、わがためには輕んじ難き金額なりき。
  (一「スクウド」は約我一圓五十錢に當る。十「パオリ」に換ふべし。一「パオロ」は十五錢許なり。十「バヨツチ」に換ふべし。「スクウド」「パオロ」は銀貨、「バヨツチ」は銅貨なり。)
  幾個の銅錢もて買ふべくば、この卷見みのがすべきものならねど、「パオロ」一つを手離さんはいと惜しとおもひぬ。
  ■私はポケットにパオロ銀貨を1枚持っていた。私にとっては大金で、半年も前に閣下が小遣いにとくれた何スクーディかのうちの最後の1枚だったのだ。
  【原注】1スクードは、デンマークの2リークスダラーとほぼ同価値。1スクード10パオリ1パオロはさらに10バイオッチである。バイオッコだけは銅貨で、他は銀貨。
  これがもしバイオッコ銅貨数枚というのだったらメタスタージオの詩集に散財してもかまわないと思ったが、パオロ銀貨をそっくり手放すわけにはいかなかった。
  アントニオの熱意に感じた店主は、「神曲」を1パオロで譲ってくれました。 (ふたつの訳本で、微妙な違いがあります)
「バイオッコ銅貨」 1849年 10.8g 30.0mm

  この当時の教皇領の貨幣制度は、
    1Scudo(複Scudi) = 10Paolo(複Paoli) = 100Baiocco(複Baiocci)
でした。 1Scudoは、当時の国際標準銀貨の1ドル、1ターレルなどと同じ大きさのものでした。 鴎外の注釈では(明治30年ころの)1.5円としていますが、現代人の感覚では、2〜3万円でしょうか。


 ● ヴェネティアにて
ヴェネティアの「デュカット金貨」
19.8mm 3.5g
13世紀に発行されて以来、約600年間、
ヨーロッパの標準的な貿易通貨でした
  ヴェネティアに着いたとき、大きな嵐があり、目の前の海で漁師たちが亡くなりました。
  その翌日、富豪の家のパーティに招かれたとき、”私の歌はみなさんの胸の中に大きな感情が訪れるようなことができますから、それを買ってください”と言いました。 多くの人が興味半分でお金を出しました。 ドゥカート金貨を2枚出した軍人もいました。
  ■軍服着たる一老人、若しその奇術奇ならざるときは、われは我が「ヅカアチイ」二個(約三圓三十八錢)を取り返すことを得んかといひしに、ポツジヨは我に代りて、若し疑はしとおもひ給はゞ、夥伴なかまに入り給はでもあるべきにと答へぬ。
  ■「だが、その感情とかやらが私に訪れてこなかったら、どうなるんだね。それでもいま出した2ドゥカートは返してもらえないのかね。」と、年寄りの軍人がきいた。「じゃあ、あなたはお賭けくださらなくてもいいんですよ!」と、ポッジョが口を出した。
  (「ドゥカート」も「ヅカアチイ」も、ヴェネティアで発行された「デュカット金貨」のことです。スクード銀貨の2倍くらいの価値でした。)

  (ボッジョは、アントニオの友人です。) アントニオが昨夜の嵐の光景をうたった即興詩は、その場の全員を感動させました。 さらに、贈り物のすべてを亡くなった漁師たちの遺族にと差し出したとき、嵐のような歓声が起きました。
サン・ピエトロ大聖堂

鐘の音は我をサンピエトロの寺に誘ひぬ。嘗て外國人とつくにびとありて此寺の堂奧はこゝに盡きたりとおもひぬといふ、いと廣き前廳まへにはに、人あまたれたるさま、大路おほぢの上又天使橋の上に殊ならず。羅馬の民はけふ悉くこゝに集へるなり。

参考文献:
  鈴木徹郎訳、「アンデルセン小説・紀行文学全集2−即興詩人」、東京書籍、1987
  森鴎外訳、「即興詩人」、岩波文庫、1928 (原著は明治25〜34)
  原著は H.C.Andersen " IMPROVISATOREN " 1834
  「青空文庫」
2006.9.9