カリブの海賊

   And then, all of a sudden, a shrill voice broke forth out of the darkness:
   "Pieces of eight! Pieces of eight! Pieces of eight! Pieces of eight! Pieces of eight!" and so forth, without pause or change, like the clacking of a tiny mill.
          ・・・ "Treasure Island" by Robert Louis Stevenson

Howard Pyle
"Buccaneer of the Caribbean"

 ● 財宝船団
銀の道
  1545年、スペイン人たちは、南米で巨大なポトシ(Potosi)銀山を発見しました。
  つづいて、1546年メキシコでサカテカス(Zacatecas)銀山を、1558年グアナフアト(Guanajuato)銀山を発見しました。
  スペインは、メキシコとリマに造幣所を作り、大量の金銀貨をヨーロッパに運びました。
  当初のコインは、板状の金銀に刻印したもので、『コブコイン(cob coin)』と呼ばれていました。 「コブ」は、スペイン語の「Cabo de Barra(棒の切れ端)」を略したものです。 1750年ころまでこの形態のコインが続きました。
  また、東洋にこの銀貨を運び、絹を持ち帰る「ガレオン船団」が運航されました。
  このカリブ海には、金銀貨と東洋の絹を運ぶ「財宝船団」が頻繁に運航されるようになったのです。
  16世紀後半のヨーロッパ大陸は、新大陸からもたらされた大量の金銀により、貨幣価値が3分の1以下になったほどです。(これは『価格革命』と呼ばれています。)

 ● バッカニーア
8 Escudos金貨 (イミテーション)
1700年ころ、メキシコにて発行されたものです。
下の8Real銀貨の16倍の価値がありました。
37〜38mm 本物なら27g
  1600年ころから、この「財宝船団」をねらって、カリブ海に海賊たちが出没するようになりました。 多くは、フランスやイギリスの荒くれや失業者たちでした。 彼らは、この地方の原住民の日干し肉(buccaning)を航海食として利用したことに由来して、『バッカニーア(英Buccaneer,西Bucanero)』と呼ばれていました。
  1620年代になると、海賊たちは、カリブ海に自分たちの基地を建設しました。「ジャマイカ島」とハイチの北にあった「トルトゥーガ島」がその中心でした。
  フランスやイギリスの政府は、これらの海賊を取り締まるどころか、他国の商船を攻撃することを推奨していました。
  1660年代、イギリス人海賊のヘンリー・モーガンやフランス人海賊のフランシス・ロロノアが大暴れしました。モーガンはイギリス政府が懐柔しジャマイカの副総督となりました。 ロロノアは、最も残酷なバッカニーアとして知られていますが、現地人ともめごとを起こし殺されました。

 ● 海賊の掟
8 Real銀貨
1700年ころ、メキシコにて発行されたものです。
海賊たちから "Piece of Eight" と呼ばれていました。
45〜46mm 27.7g
4 Real銀貨
1630年ころカリブ海で沈没した船から引き上げられたものです。
腐食したため、変色し、だいぶ軽くなり、一部折れています。
27〜28mm 7.1g
  海賊たちには、民主的な掟がありました。 その中でも有名なのが、海賊船「リヴェンジ号」のジョン・フィリップス船長が、1723年に定めた掟です。

  掟1.乗務員は全員、命令に従わなければならない。戦利品の分け前は、船長は1.5人分、航海長・大工・甲板長・砲手は1.25人分とする。
  掟2.脱走を企てたり、仲間に隠し事をしたものは、弾薬1瓶、水1瓶、小火器1丁および弾丸を与えて孤島に置き去りにする。
  掟3.仲間のものを盗んだり、1ピース・オブ・エイト以上の金額の賭事をしたものは、孤島に置き去りにするか、銃殺刑に処す。
  掟4.他の海賊の掟に勝手に署名したものは、船長及び仲間が適切と考える処罰を課す。
  掟5.仲間を殴ったものは、裸の背40回の鞭打ちを課す。
  掟6.弾薬庫内で銃の撃鉄を上げたり、パイプに覆いをかけずに煙草を吸ったり、または火のついたままのキャンドルをカンテラに入れずに持ち歩いたものは、前条と同じ処罰を課す。
  掟7.武器の手入れを怠ったり、任務を怠ったものは、分け前を減じ、また船長および仲間が適切と考える処罰を課す。
  掟8.戦闘で(指の)関節を失ったものには400ピース・オブ・エイトを与える。手足の一つを失ったものには800ピース・オブ・エイトを与える。
  掟9.婦人に同意なく手出しをしようとしたものは、即刻死刑に処す。

  「ピース・オブ・エイト」とは、右の8レアル銀貨のことです。
  冒頭の文章は、『宝島』のオウム「フリント船長」の叫びです。 "Piece of Eight"は、日本語訳の『宝島』では「八印銀貨」と訳されていることがあります。


 ● 海賊の終り
2 Real銀貨
1700年ころ、リマにて発行されたものです。
23〜24mm 5.3g
  1700年からの25年間が、カリブの海賊の”全盛期”でした。 常に1000人以上の海賊たちが”活躍”していました。 しかし、このころからイギリス政府は、海賊を取り締まる方向に転換しました。
  1701年、ウィリアム・キッドが捕らえられ、ロンドンで処刑されました。 ポーの「黄金虫」は、このキッドの隠した財宝がモデルになっています。
  1718年、エドワード・ティーチがイギリス軍と戦って戦死しました。 彼は「黒髭」とあだ名され、東京ディズニーランドにあるアトラクション「カリブの海賊」のQラインには、彼の肖像画が飾られています。
  1720年、女海賊で有名なアン・ボニーが捕えられました。 彼女は妊娠していたため、処刑は免れました。
  1722年、バーソロミュー・ロバーツが、イギリス軍と戦い戦死しました。 彼はブラック・バートとも呼ばれ、「大海賊時代」最後にして最大の海賊とされています。
  そのうち、200年以上盛んだった銀山の産出量もだんだん減少しました。 1778年、スペインは定期的な財宝船団を廃止しました。

(Wikipedia Commonsによる)


  海賊たちの保険
  ある海賊たちには、戦闘で負傷したときの保険金が決められていました。
    ・戦闘で指1本を失ったものは、ピース・オブ・エイト100枚か1人の奴隷
    ・戦闘で片目を失ったものは、ピース・オブ・エイト100枚か1人の奴隷
    ・戦闘で左足を失ったものは、ピース・オブ・エイト400枚か4人の奴隷
    ・戦闘で右足を失ったものは、ピース・オブ・エイト500枚か5人の奴隷
    ・戦闘で左手を失ったものは、ピース・オブ・エイト500枚か5人の奴隷
    ・戦闘で右手を失ったものは、ピース・オブ・エイト600枚か6人の奴隷
  この当時、イギリスの中流家庭の年収は50ポンドくらいで、これはピース・オブ・エイト220枚に相当します。
  【出典】A.Exquemelin, " The Buccaneers of America ", 1678

  「黒髭」にかけられた懸賞金
  1718年、イギリス政府は、海賊「黒髭」とその一味を捕らえたものに懸賞金を出しました。
    「黒髭」・・・・・・・・・・・・・・ 100ポンド
    その他の船長 ・・・・・・・・・・・・ 40ポンド
    次席、航海長、舵手、水夫長、大工 ・・ 20ポンド
    下級航海士 ・・・・・・・・・・・・・ 15ポンド
    平船員 ・・・・・・・・・・・・・・・ 10ポンド
  この当時、イギリスの下層家庭の年収は、20〜30ポンドでした。


参考文献:
   C.V.ブラック、増田義郎訳、「カリブ海の海賊たち」、新潮選書、1990
   フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
   「NATIONAL GEOGRAPHIC 日本版」2001.7、日経ナショナルジオグラフィック社
2006.6.9