ヴェネツィアの商人

ヴェネツィア  2007年1月
●ヴェネツィアの建国
ソルディノ銀貨 13〜14世紀 (画像拡大)
表:元首の像  裏:聖マルコの獅子
軽くて薄い銀貨です。
15.5mm 0.5g
  西ローマ帝国が弱体化し、ゲルマン民族がヨーロッパを蹂躙したとき、アドリア海の干潟に逃れてそこに国を作った人たちがいました。 西暦452年のことで、これが「ヴェネツィア」の建国です。
  当時珍しい共和制で、当初はビザンチン帝国の属国でしたが、巧みな内政と外交で、徐々に国力を高めました。
1000年アドリア海の制海権を獲得
1123年パレスティーナ地方に商業圏を拡大
1204年黒海沿岸に商業圏を拡大

  初期のヴェネティアが発行した貨幣は、「ソルディノ」と呼ばれる小さな銀貨が中心でした。

●ヴェネツィアの交易
グロッソ銀貨 15世紀
デザインは下のデュカート金貨と同じです。
グロッソ銀貨1枚はソルディノ銀貨4枚に相当します。
20mm 1.6g
  11〜12世紀に、西ローマ帝国滅亡以降とだえていた商業が復活しました。「商業ルネサンス」と呼ばれています。
  さらに13〜14世紀になると、
    ・船の改良(ガレー船から帆船へ)
    ・航海技術の発達(羅針盤、航海図など)
    ・商業技術の発達(簿記の発明、アラビア数字の普及など)
などにより、国際貿易が発展しました。
  ヴェネツィアの商人が取り扱った商品は、
    ・フランドル航路   フランドルの毛織物、ドイツの鉄製品
    ・ギリシャ航路    ギリシャのぶどう酒、ビザンツの金細工、黒海沿岸の小麦・塩漬け魚・毛皮・木材、
                 ロシア・コーカサス・タタールの奴隷
    ・シリア航路      シリアの染料、インドの香味料、東方の絹
    ・アレクサンドリア航路 インドの香味料
などなどでした。

●ヴェネツィアの金貨
デュカート金貨 1329〜39年  
表:ヴェネツィアの守護聖人マルコからひざまづいて旗印
  を受け取る元首。
  銘は「Sanctus Marcus VENETI」「FRK DANDVLO」。
  FRK DANDVLO は、第52代の元首フランチェスコ・ダ
  ンドロのこと。
裏:星に囲まれたキリストの立像。
  銘は「SIT Tibi XPE DATVS Qvem TV REGIS ISTE
  DVCATvs」。
  (これが汝に与えられんことを。この公国を統治する
  キリストに)または、
  (おお、主よ。主の治め給うこの国をささげ給え)
19.8mm 3.5g
  貿易量が多くなると、銀貨だけでは不便をきたし、1284年になって金貨を発行しました。 重さ3.56gの純金で、イスラーム商人から入手した西アフリカ産の砂金で作りました。
  この金貨は、全く同一品質同一デザインで1797年まで作られ続け、東地中海世界の国際貿易の標準貨幣となりました。何と500年以上もです。、
  金貨には正式の名称がありませんでしたが、銘の最後のDVCAT(デュカートDucat=「公国」)から、『デュカート(ダカット)金貨』とか、製造場所ゼッカZeccaの名前をとって『ゼッキーノ金貨(Zecchino)』と呼ばれました。
  シェークスピアの『The Merchant of Venice』で、ヴェネツィアの商人アントーニオが、ユダヤ人の金貸しシャイロックから自身の肉を担保に借金したのは、「3000デュカート」でした。

  デュカート金貨1枚はどれくらいの価値があったのでしょうか。 以下は、いくつかのヒントです。
   ○14〜15世紀ころ、庶民階級は、家賃を除いて年に15〜20デュカートで生活できました。
   ○14世紀、市民が結婚するときの持参金は、10〜800デュカートで、平均は74デュカートでした。
   ○1380年、ジェノヴァとの戦いに備えて、資産家に国債の購入を割り当てました。
     資産家の条件は、3000デュカート以上の資産を持つことで、市民15万人中、該当する資産家は2128家ありました。
   ○1390年ころ、お隣のフィレンツェのある商館の使用人の給料(年俸)が記録されています。
     (「フィオリーノ」はフィレンツェの金貨で、デュカートと同じ価値のものです。)
     幹部社員    100〜200フィオリーノ
     平社員      15〜25 フィオリーノ
     まだ若い社員     12  フィオリーノ
     使い走りの少年   5〜7  フィオリーノ
ソルディノ銅貨 17世紀
21mm 1.5g
   ○14世紀末〜15世紀末、イタリア諸都市の平均的な市民の生活費は、年間20デュカートでした。
   ○1402年、年収700デュカートを越す富裕市民は、1000人いました。
   ○15世紀、市民が就くことのできる公務員の最高位「書記官長」の年俸は、300デュカートでした。
   ○1427年、フィレンツェの農民の財産申告:
      雌牛2頭=16フィオリーノ、雌ロバ1頭=3フィオリーノ、雌羊20頭=5フィオリーノ、豚1頭=1フィオリーノ、
      合計 25フィオリーノ
   ○1443年、フィレンツェで制定された新所得税(世界初の累進課税):
      年収50フィオリーノ以下の低所得者は4%、1500フィオリーノ以上の高額所得者は33%
   ○15世紀末、石工や大工のような熟練工の日当は、10分の1デュカートでした。
   ○乞食は街を汚すものとして取り締まられていました。
      1550年ころ、挙動不審な乞食を調べたら、何と325デュカートもの貯金を持っていました。彼には25デュカートの罰金刑がいいわたされました。
   ○1670年ころ、「市民」でも10万デュカート収めると「貴族」になることができるようになりました。

  これらの数字からみると、1デュカートを現代の10〜20万円くらいと想定できそうです。

●ヴェネツィアの盛衰
デュカートン銀貨 1677年
表:ヴェネツィアの守護聖人マルコからひざまづいて旗印を受け取る元首。
  銘は「S.M.V.ALOYSIVS.CONT.D」
裏:聖書に片脚をかけた翼のある聖マルコの獅子。
  銘は「DVCATVS.VENETVS」
36〜37mm 18.9g
元々は41mm,23.4gの大きさなのですが、周囲を削られています。
  1455年の主なイタリア各国の国家予算は、
     ヴェネツィア  80万デュカート
     フィレンツェ  20万デュカート
     ナポリ     31万デュカート
     教皇領     40万デュカート
     ミラノ     50万デュカート
でした。 ヴェネツィアは群を抜き、「アドリア海の女王」として地中海世界を君臨していました。
  しかし、地中海貿易に専念している間も、4次にわたる宿敵ジェノヴァとの戦い(1258〜1381)、ビザンチン帝国との確執、7次にわたる大国オスマントルコとの争い(1463〜1714)などがありました。 その間に、スペインとポルトガルは大西洋経由での航路を開拓し、ヴェネツィアは国際貿易の主流から外れてゆきました。 また、共和制はいつしか一部の金持ちが支配する寡頭政にかわっていました。
  1797年5月16日、ナポレオン率いるフランス軍が進駐し、”自由を”の声とともに、ヴェネツィア共和国は解体されてしまいました。



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  ●イスラーム教徒に払う参拝料が15デュカート必要です。
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  ●この他にお客様は、聖地での20日ほどの滞在費として、およそ10デュカートをご用意いただければ幸いです。
                1458年 ヴェネツィア国 第66代元首 パスクアーレ・マリピエロ


参考文献:
   塩野七生、「海の都の物語」、中公文庫、1989
   久光重平、「西洋貨幣史」、国書刊行会、1995
   永井三明、「ヴェネツィアの歴史」、刀水書房、2004
   藤沢道郎、「物語イタリアの歴史」、中公新書、1991
2006.5.8   2009.4.4 グロッソ銀貨を追加