背教者ユリアヌス

● 生い立ち
  ユリアヌス(Flavius Claudius Julianus)は、331年12月、ローマ帝国の新首都コンスタンティノポリスの近くで生まれました。 父は、コンスタンティヌス大帝(在位306−337)の弟ユリウスです。
コンスタンティヌス大帝  (在位306−337)
当初はブリタニアなどローマの4分の1の皇帝だったのですが、
次々に他の皇帝を倒し、324年に単独皇帝となりました。
330年には新都コンスタンチノープルに移りました。
キリスト教を公認したことでも有名です。
18.5mm 3.5g

  337年5月に大帝が没したとき、一族の後継者争いの中で、父が暗殺されました。 ユリアヌスと兄のガルスは奇跡的に助かりました。
  大帝の遺領は、
    西ローマ帝国 皇帝は、長男コンスタンティヌス2世
    中ローマ帝国 皇帝は、次男コンスタンス
    東ローマ帝国 皇帝は、三男コンスタンティウス2世
に3分割されました。
 ┌コンスタンティヌス大帝(306-37)┬[西]コンスタンティヌスU(337-40)
 │               ├[中]コンスタンス(337-50)
 │               └[東]コンスタンティウスU(337-61)
 └ユリウス─┬─ガルス
       └─ユリアヌス(361-63)

  この3兄弟、非常に仲が悪かったようです。
コンスタンティヌス2世  (在位337−340)
西ローマ(ブリタニア、ガリア、イスパニア)の皇帝となったのですが、
弟のコンスタンスを討とうとして、逆に敗れて殺さてしまいました。
19.1mm 2.7g

コンスタンス  (在位337−350)
中ローマ皇帝として、イタリア、アフリカ、イリリアを領有していました。
イタリアに攻め込んだ兄を破り西ローマを併合していたのですが、
部下のマグネンティウスに破れました。
15-17mm 1,7g

コンスタンティウス2世  (在位337−361)
西・中ローマの皇帝となっていたマグネンティウスを破り、
ローマを統一しました。
ユリアヌスの父を暗殺した首謀者とされています。
15.2mm 2.0g

  ユリアヌス兄弟は、カッパドキアなどで幽閉された少年時代をおくりました。 この期間に、哲学に親しみ、ギリシャ古来の神々を敬うようになりました。

● ガリア副帝に
  この当時ローマ帝国では、皇帝(正帝:アウグスツス)が、帝国領の一部の統治を任せた副帝(カエサル)を置くことがありました。 351年、兄のガルスが東部ローマを統治する副帝に任じられました。 不遇を囲っていた兄弟にも光が差し込みました。
コンスタンティウス・ガルス
ユリアヌスの異母兄です。
東方を治める副帝(カエサル)となっていましたが、謀反の罪で処刑されました。
銘文の最後にC(カエサル)とあります。
21.0mm 4.0g

  しかし、兄は3年後に謀反の罪で処刑されてしまいました。
  355年暮、今度はユリアヌスがガリア(現在のフランス)を統治する副帝に任じられ、ルテティア(現在のパリ)に赴任しました。   副帝となったユリアヌスは、これまでの哲学青年からは想像もつかない、優れた統治能力と軍事能力を発揮しました。 けっして奢ることなく、兵卒と同じ食事をし、ともに戦う姿勢に、兵士たちから強い支持を得ました。

● 皇帝に
  359年、ササン朝ペルシャと戦っていた皇帝コンスタンティウス2世から、ユリアヌス率いるガリア軍団の一部に東方への移動命令が届きました。 名声を得たユリアヌスの勢力を減らす意図があったのでしょう。
  東方への移動に激しく拒否した軍団は、ユリアヌスを正帝にしてしまいました。 謀反です。

 ユリアヌスはガリアの長老や将軍たちが、皇帝戴冠の儀式の終りに、ガリアでは財貨を兵士たちに分配する習慣があると言うのを、半ば放心したような気持で聞いていた。
 ・・・ 財務官が兵士の頭割りに計算した分与額は金貨5スー、銀貨1リーヴルにすぎなかった。しかし兵士たちは新しい皇帝による下賜金に狂喜した。   (辻邦生、「背教者ユリアヌス」)
 「スー」は、「ソリダス金貨」1枚を意味します。「リーブル」は、下の「シリカ銀貨」144枚を意味します。ソリダス金貨1枚は、シリカ銀貨24枚に相当しました。

  361年春、コンスタンティウス2世との戦いが避けられないとすると、圧倒的な劣勢にもかかわらず、ルテティアを出発し、東に向かいます。 ところが、361年11月、コンスタンティウス2世が病気で急死し、戦わずしてユリアヌスが単独皇帝となりました。

ユリアヌスのシリカ銀貨
フランス中南部のリヨンでの鋳造です。
皇帝を名乗って直後の発行と思われます。
顔つきは、上のコンスタンティウス2世(従兄弟)とよく似ています。
16.6mm 2.1g

● 背教者
  皇帝になったユリアヌスが真っ先に行ったことは、ギリシャ・ローマ伝統の宗教を復活し、キリスト教徒によって破壊されていた神殿を再建することでした。 また、東方神ミトラス神への牡牛のいけにえの儀式を盛んに行いました。
  キリスト教を禁止したわけではありませんが、聖職者の持っていたさまざまな特権をとりあげました。 当時から既にキリスト教会は教義をめぐる宗派争いが多く、また、さまざまな特権を利用して、かなり世俗化がすすんでいました。 ユリアヌスはこれらを批判したのです。 しかし、後世の人たちは彼を『背教者』と呼ぶようになりました。

 ユリアヌスの単位不明の銅貨 ギリシャ北部テッサロニカの鋳造
 表にDNFLCIVLIANVSPFAVG
 IVLIANVS(Julianus)がユリアヌス、AVG(Augustus)がアウグスツスを意味します。
 単独皇帝になってから、髭をたくわえました。
 裏にSECVRITASREIPVB、裏下部にTESA。
 裏は、いけにえの儀式に使われた牡牛。
 26〜27mm 8.3g


● ペルシャとの争い、そして死
  363年3月、ローマの宿敵ササン朝ペルシャを倒すべく、ユーフラティスへ侵攻しました。 首都クテシフォン近くまで迫りましたが、落とすことはできず、またペルシャの焦土作戦に悩まされて退却しました。
  そして、363年6月、退却の途中にペルシャ軍に襲われ、戦死しました。 32才でした。

  「ガリラヤ人よ、お前たちの勝ちだ」と、死の間際に言ったという伝説があります(ガリラヤ人とはキリスト教徒のことです)。
  もし、ペルシャに勝っていたら、大西洋からインド洋にまたがる大帝国ができたかもしれません、またユリアヌスがもっと長生きしていたら、その後のキリスト教はどうなっていたでしょうか。 歴史に「もし」はありませんが、想像欲を掻き立てる皇帝です。

 参考文献
  辻邦生、「背教者ユリアヌス」、中公文庫、1974〜75
  ギボン著、村山勇三訳、「ローマ帝国衰亡史」、岩波文庫、1952

2004.11.3  2005.7.2シリカ銀貨を追加  2005.11.19ガルスなど追加