モンテーニュの旅

  モンテーニュ(Michel Eyquem de Montaigne,1533-92)は、『随想禄』の著者として有名な人です。 1580年6月22日、持病の腎石治療のため、スイス・ドイツ経由でイタリアの温泉へ行きました。
  友人と、おたがいの馬上の家臣、徒歩の下僕ら、総勢12人、馬8頭の一行です。
  旅の記録が『イタリア旅行記』として残されています。 この中でのお金の記録の一部を紹介します。
  当時はまだ封建国家で、王様だけでなく各地の諸侯が貨幣を発行しています。 単位は複雑、また同じ単位の名でも発行した場所によっても価値が異なることがありました。 日記にも実にさまざまな単位が出てきます。 資料Aなどから、当時の貨幣単位と銀貨の重さを次の様にまとめてみました(微妙な地域や年代の差で、値が異なることがあります)。

 ●フランス
  1エキュ(金貨3.33g)=3リーヴル   1リーヴル(銀貨19.95g)=20スー
  1スー(ソル、銀貨1g)   1フラン(銀貨14.18g)   1テストン(銀貨9.57g)
 ●ドイツ
  1ターレル(銀貨29.23g)=15バッツェン=24グロッシェン
  1フローリン(金貨3.25g(品位750)、銀貨36g)
 ●イタリア
  1スクード(ピアストル、銀貨31.95g)=7〜8リラ   1リラ(銀貨4.50g)=3グロッソ
  1ジュリオ(銀貨3.12g)   1グロッソ(銀貨1.46g)   1テストン(銀貨9.98g)

  折から「価格革命」のさなかです。 1530年ころから1世紀の間で、ヨーロッパは5〜6倍の物価高になりました。 世界大戦があった20世紀の人には驚く数字ではありませんが、当時の人たちにとっては大変なことでした。
  日記を見ると、銀貨1gは、我々の100円くらいと思えるところもあれば、1000円くらいと思えるところもあります。 現代人には理解し難いものです。


フランス ローレーヌのテストン銀貨
1588年
27.7mm 8.9g
●バーデン(スイス) 〜 旅館の宿泊料
  ■宿泊料の取り方は、どこの国でもそうだし、ことにわが国ではそうだが、外国人に対しては少々因業である。我々の場合、寝台9つ付きが4室、内2室はプワールおよび浴槽付きで、主人1人に対して1日1エキュ(銀貨60g)かかった。召使の方は1人につき4バッツェン(銀貨7.8g)、すなわち9ソル(銀貨9g)とちょっと、馬は6バッツェン(銀貨11.7g)、すなわち14ソル(銀貨14g)につく。だが、それだけでなく、彼らはさらにいろいろと普通はしないような狡猾な費用をつけて出す。 [1580.10.7]
 日記の中には、しばしば宿の料金が出てきます。
 「天使亭」という最良の宿全部借りきり、1日15スー(銀貨15g) [1580.9.19 プロンビエール(フランスとドイツの国境ちかく)]
 上等の宿の宿賃、1月7エキュ(銀貨420g) [1580.11 パドヴァ(ヴェネチアの近く)]
 「熊宿」の宿賃、寝室3、料理人1人つき、1月20エキュ(銀貨1200g) [1580.11 ローマ]
 温泉の立派な宿、設備つき4室、半月で20エキュ(銀貨1200g)、1日だと1エキュ(銀貨60g) [1581.5 デラ・ヴィラ温泉]
 また、この温泉で別な宿は、1月で6スクード(銀貨192g)、20スクード(銀貨640g)、25スクード(銀貨800g)などいろいろあったようです。

●コンスタンツ(スイス) 〜 司教の収入
  ■司教は土地の貴族で、枢機卿でもあり、ローマに住んでたっぷり4万エキュ(銀貨2400kg)の収入を得ている。ノートル・ダム寺院には参事会員の籍があり、その聖職禄は1500フロリン(銀貨54kg)になるが、みな貴族たちに占められている。我々はちょうど馬に乗って外から帰って来るその一人にで合ったが、軍人のように派手ななりをしていた。 [1580.10.8]
 別のところで、貴族の年収についてふれています。
 ケンプテンの修道院の院長の年金は5万フロリン(銀貨1800kg)
 オーストリア大公がチロル伯領の山々から得ている収入は年間30万フロリン(銀貨1万kg)で、これは大公の年収の半分以上に相当する。

ドイツ ミュルバッハ・リューデルスの
グロッシェン銀貨

1596年
21,5mm 2.0g
●リンダウ(南ドイツ) 〜 人馬、食事
  ■高地ドイツにおける物価高はフランスにおけるよりはるかにひどい。まったく我々の勘定によると、人馬は1日に少なくとも太陽貨1エキュ(銀貨60g)はかかるのである。亭主はまず第一に、食費として1回につき4、5バッツェン(銀貨7.8-9.8g)から6バッツェン(銀貨11.7g)を要求する。 [1580.10.11]

●ヴェネチアの様子 〜 ゴンドラ、水
  ■彼(この土地の貴族)は、昼夜を通じて2リーヴル(銀貨40g)すなわち大体17ソル(銀貨17g)でゴンドラを1艘お買い切りになり、漕ぎ手には1文も払われなかった。食料はパリと同様に高いけれども、ここくらい安く生活の出来るところもない。供回りというものが全く不用で、誰もがひとりで歩けるからである。衣料費についても同様である。それにここでは全く馬がいらない。
  ■路上で水を一杯に積んだ舟にたくさん出あった。舟一杯の水がヴェネチアでは1エキュ(銀貨60g)する。それは飲用および布の染め上げに使われる。
[1580.11.8]

●ローマ 〜 娼婦
 ローマには半年近く滞在しました。 目的の温泉に行く前です。 湯池以外に何か政治的な目的があったのだと推測する人もいます。
  ■ローマ人の一番普通の仕事は町を散歩することであって、・・・それから得られる最大の収穫は、窓際に寄る女たち、とくに娼婦たちを眺めることである。 ・・・その晩1エキュ(銀貨60g)ないし4エキュ(銀貨240g)はずんで泊まって見たところで、その得るところといえば、せいぜい翌日、人前で彼女たちの御機嫌を取って見せねばならぬくらいのところである。 [1581.3.19]
 この時代、ヴェネチア、フィレンツェ、ローマなど都市には、多数の娼婦がいました。

イタリア ミラノのグロッソ銀貨
1475年
23mm 2.5g
●ファーノ(イタリア東海岸) 〜 食事、人足
  ■この町は美人が多いことでイタリアのすべての町を凌ぐという評判だが、そんな美人は一人もみかけず、ただ醜女ばかりであった。それについてこの町の或る紳士にたずねたところ、それは昔の話ですと答えた。この街道筋では、食事は1食約10スー(銀貨10g)かかり、人足は1日20スー(銀貨20g)、馬は借り賃その他で約30スー(銀貨30g)、合わせて50スー(銀貨50g)になる。ここは教会領である。 [1581.4.28]

●デラ・ヴィラ温泉 〜 肉、連隊長の俸給
 旅行の目的地のデラ・ヴィラ温泉です。 ローマの北300Kmくらいのところにあります。 ここには、2回にわたって合計2カ月半滞在しました。 治療のため、温泉のお湯をたくさん飲みました。
  ■当地では暮らしが非常に楽である。子牛1リーヴル(4〜500g)、極上で極めて柔らかなやつが、フランス貨約3スー(銀貨3g)である。
  ■みごとな子兎を、しかも今の季節に、フランス貨6スー(銀貨6g)で喜んで売ってくれた。
  ■ボローニャの1貴族の訪問を受けたが、それはこの国の市会に雇われて、1200の歩兵を指揮している連隊長で、当温泉から4マイルのところにおられる。・・・わたしの許に来られた連隊長は月16エキュ(銀貨960g)を受けているが、万一の場合に備えているだけで他は何の役目もない。
[1581.5〜6]

フランス王国の1/4エキュ銀貨
1591年
28.5mm 9.4g
●ピサ 〜 宿屋、買い物
  ■泊まった宿屋が気に入らないので、寝室4つに食堂の付いた家を一軒借りた。主人が賄いを引き受け家具も貸してくれた。家は立派で、何もかも含めて月8スクード(銀貨256g)である。ちゃんと約束させたのにテーブルクロスやナプキンなどはひどいものだった。それで下僕たちは自炊をさせ、我々は宿の方へ行って1日4ジュリオ(銀貨12.5g)で食事をした。
  ■わたしはこの木(御柳)で作った小さな樽を一つ6ジュリオ(銀貨18.7g)で買い、これに銀貨のたがをつけさせて、職人に3スクード(銀貨96g)を払った。それから、自分で使うために蘇芳の木のステッキを6ジュリオ(銀貨18.7g)で買った。そのほか、小さな壷一つと、脾臓と腎石に対して御柳の木と同じ効き目のあるインドナッツのコップ一つを、計8ジュリオ(銀貨25g)で買った。 [1581.7.8]

●モン・スニ峠(イタリアとフランスの国境近く) 〜 橇
  ■(峠から)下りは1里ばかりで、急に真直ぐである。わたしはそこを同じ山男たちに橇で運んでもらった。8人がかりのその仕事に2エキュ(銀貨120g)を与えたが、一人引きの橇なら1テストン(銀貨10g)ですむ。 [1581.11.1]


  自分の館に帰ったのは、1年半後の1581年11月30日です。 旅行中に、何と近くの大都市、ボルドーの市長になっていました。



参考文献:
  @関根秀雄・斎藤広信訳、「モンテーニュ旅日記」、白水社、1983
  A久光重平、「西洋貨幣史」、国書刊行会、1995


2004.4.11 2006.12.19 1/4Ecu銀貨追加