近世の東アジア貿易

  ポルトガル人のバスコ・ダ・ガマが1498年にインドへの航路を発見して以来、ヨーロッパ人のアジアへの来航が始まりました。
  当初はアジアの香辛料を求めて、またキリスト教の布教のための来航でしたが、そのうち、アジアの富を収奪するのが目的になりました。
  17〜19世紀を中心に、東アジアの貿易の構図と使用されたコインを紹介します。


● 日本の場合
長崎元豊通宝 1659年 3.5g 24.3mm
  中世の日本は、宋や明から大量の銅銭を輸入していましたが、16世紀後半から逆転し、銀と銅を輸出する立場になりました。
   [日本] ⇒ 銀・銅
   [中国] ⇒ 生糸・絹織物
   [台湾・フィリピン] ⇒ 鹿皮、砂糖
   [シャム・ベトナム] ⇒ 香木(沈香、伽羅、蘇木)
   [インドネシア] ⇒ 香辛料

  かつて輸入した宋銭・明銭や日本で鋳造した鐚銭・寛永通宝などを輸出していましたが、日本国内の通貨が不足することを心配した幕府により、寛永通宝の輸出は禁止されました。
  そこで、1659年より長崎で輸出専用の銅貨を鋳造しました。 「長崎貿易銭」と呼ばれ、主に宋の「元豊通宝」の題名をとったものです。
  長崎貿易銭の製造は1685年に終わりましたが、この貿易形態はその後も100年以上続きました。 日本の「銅」は評判が良く、ベトナムの現在の通貨単位「ドン」の語源になっています。


● スペインの場合
スペイン切銀 8レアル 1700年ころ 27.7g 46mm
  スペインは、1563年、メキシコのアカプルコ→マニラ→中国 間をガレー船で定期的に運航する、「ガレオン貿易」を開始しました。
  当時、スペイン領のメキシコとペルーで大量の銀が産出し、一方中国では銀の不足に悩んでいました。 この銀を絹と交換したのです。
  [メキシコ] ⇒ 銀 ⇒ [中国] ⇒ 絹 ⇒ [メキシコ]
  メキシコからの船には、大量の銀とともに、大勢の宣教師が乗っていました。 アジアでカソリックを布教するためです。


スペイン貿易銀 8レアル 1809年 26.8g 40.0mm
表はフェルディナンド7世です。
  当初は銀の板を切って極印を押したもの(切銀)でしたが、1730年ころから近代的な貨幣の形に整えました。   形はきれいになったのですが、銀メッキの贋金が出始め、商人たちは真贋を確かめるため刻印を打ちました。 この刻印はそれぞれの商人が確認した印にもなり、かえって信用度を高めることにもなりました。
  右のコインには「天」「盛」「恒」「力」「其」「渠」などの刻印がいっぱいうちつけられています。  通貨としてではなく、信用できる銀の地金としてはこれはベストの状態です。
  ガレオン貿易は1815年まで続きました。


● オランダの場合
1/2ドゥイート銀貨 1757年 1.5g 17.0mm
  オランダは、東南アジア貿易の覇権をめぐってスペインとイギリスを破り、インドネシアを中心とした香辛料貿易を独占しました。
  [インドネシア] ⇒ 香辛料 ⇒ [オランダ]
  1602年には「連合東インド会社」を設立し、独自の通貨を発行しました。
  「VOC(Vereenighde Oostindische Compagnie)」のマークは当時の東アジア中に氾濫しました。

2ストイフェル銅貨 1807年 8.7g 24mm
  ヨーロッパでナポレオン戦争が始まり、東インド会社も1798年に解散しました。 本国からの通貨の供給がとだえ、日本から輸入した銅(細長い形だったので「竿銅」と呼ばれています)を適当な大きさで切断し、発行年と額面を刻印して当座の出費に使用しました。


● イギリスの場合
イギリス貿易銀 1ドル=1円 1898年 26.8g 38.8mm
「ONE DOLLAR」と「壹圓(1円)」の両方が併記されています。
  イギリスは1621年、香辛料貿易でオランダに敗れ、インド経営に集中しました。 さらに、17世紀後半になってヨーロッパ中に飲茶の習慣がひろまったことから、中国の茶を輸入することになります。 このころは、
   [イギリス] ⇒ 銀 ⇒ [インド] ⇒ 綿布(手織) ⇒ [イギリス]
   [イギリス] ⇒ 銀 ⇒ [中国] ⇒ 茶 ⇒ [イギリス]
という構図だったのですが、このためイギリスの銀が大量に持ち出されました。

  1765年、衰退するインドから徴税権を獲得し、大量の銀を得るとともに、インドでアヘンを栽培し、それを中国で売りさばくことにします。 また産業革命に成功し、これまで輸入していた綿布は、19世紀からは輸出品となりました。
   [イギリス] ⇒ 綿布(機械織) ⇒ [インド] ⇒ アヘン ⇒ [中国] ⇒ 茶 ⇒ [イギリス]
  一見公平な三角貿易ですが、この過程でインド・中国から大量の銀を得ました。 中国では毎年200万両前後の銀が流入していましたが、1827年に逆転し、毎年300万両前後の流出となりました。 ローマ時代以来、西洋から東洋への金銀の流入がこの時点で逆転したのです。

● メキシコの場合
メキシコ貿易銀 8レアル=1メキシコドル 1844年 26.9g 38.0mm
中国では「鷹洋」と呼ばれました(図柄は鷲です)。
  19世紀後半から、西洋諸国は貿易の決済を簡素化するため、世界共通の大きさの銀貨を発行しました。  スペインから独立したメキシコ、香港のイギリス(⇒上のコイン)、アメリカ、仏領インドシナのフランスなどで発行されましたが、メキシコが発行した8レアル銀貨が最も品質が良く、東アジア貿易の標準貨となりました。
  ただし、メキシコはスペインから独立した直後でもあり、また、アメリカとの戦争など国内外に多くの問題を抱え、アジアとの貿易どころではありませんでした。


  日本の貿易品
輸出品  数量
丁銀4000貫目(6.7万両相当)
竿銅71万斤(11万貫)
500俵
小麦4050俵
樟脳9111斤
磁器39000個
小箪笥12棹
合計1,413,814グルデン
(約8.2万両)
輸入品  産地 数量 単価(グルデン) 金額(グルデン)
生糸中国9,569斤10.298,001
トンキン59,553斤4.3257,939
ベンガル34,870斤4.0139,359
絹織物中国3,764反12.045,225
トンキン15,453反4.671,395
鹿皮台湾83,474枚0.4134,541
砂糖台湾100,372斤0.1615,608
合計662,068グルデン
(約3.9万両)
  日本では、1639年(寛永16年)に鎖国が行われた後は、オランダと清国のみが直接の通商相手でした。
  右の表は、オランダ船を経由して、1650年(慶安3年)に輸入した品物と、1661年(寛文元年)に輸出した品物の一部です。
  当時の為替レートは、金1両=17グルデンです。
  輸入品のうち、「鹿皮」は武士のよろいづくり使われたものです。 鹿皮1枚は銭約100文になり、当時の日本の労働者の日当くらいです。 大量に乱獲されたため、台湾や東南アジアの鹿がいなくなったそうです。
  輸出品では銀が大半を占めていたことがわかります。
 【出典】
   永積洋子、「東西交易の中継地台湾の盛衰」、山川出版社「市場の地域史」、1999
   「バタヴィア城日誌」、平凡社・東洋文庫、1975

  日本の竿銅
  日本から輸出された竿銅。
  1697年にケープタウン近くで難破したVOC(オランダ東インド会社)の船にあったものです。
  大英博物館の展示品です。
  1本1斤(600g)か?


2003.7.24