西夏の番字銭

 行徳がこの寺に来て一番驚いたことは、彼が作り上げた西夏文字と漢字との対照表は、一冊の冊子としての体裁を持たせられ、それをもとにして何冊かの筆写本ができ上がって使われているということであった。ずっとこの寺に居て、西夏文字の仕事に携わって来た策(さく)という六十歳近い人物が、その一冊を行徳のところへ持って来て、それに書物の題名を付するようにと言った。

 行徳は暫く幾つかの頁を開けてそれに見入っていたが、やがて筆を執り上げて墨をふくませると、その冊子の表紙に貼り付けられた細長い白紙の部分に、「番漢合時掌中珠」と認めた。
                                  ・・・・・  井上靖、『敦煌』

● 西夏文字のコイン
  次は、私のホームページ「中国周辺の文字」で紹介している西夏のコインです。

西夏 天慶宝銭 1194。
西夏文字は西夏の建国者李元昊が、1036年に制定したものです。普通西夏といいますが、
自分たちは「大夏」と称していたそうです。
西夏の人たちはこの文字を「番字」と呼んでいたそうです。そのため、このコインは「番(蕃)字銭」
と呼ばれることがあります。
西夏はその後、1227年にチンギス汗により滅ぼされ、この端正な文字を使う人もいなくなりました。
西夏文字は、日本の西田博士によって全貌が解読されました。
23.9mm 4.8g

● 「番漢合時掌中珠」
  井上靖の「敦煌」では、主人公の趙行徳が作成したことになっていますが、本当は乾祐21年(1190年)に骨勒茂才という西夏人が作成したものらしいです。 天文、動物、植物、身体などの熟語を漢字と西夏文字を並べて書いています。 下図は、星座と植物の部分です。 一組ごとに、左から漢字の発音を西夏字で書いたもの、漢字、西夏字、西夏字の発音を漢字で書いたものが並べられています。

  「番字」とは、「漢字」に対しての西夏文字の呼称です。 「番」には、中国の西方の人たちという意味があるそうです。 また、「番」は「蕃」とも書きます。


● 「天慶寶銭」について
 上の「番漢合時掌中珠」の中に、「天」と「銭」を見つけることができます。
 「寶」の字も他のページにありました。 「慶」だけは見つけられませんでした。

 西夏文字のフォントは、「インターネット西夏学会」さんが作成したものです。 慶と寶に相当する文字のフォントは現在作成中だそうです。



● 西夏と西夏文字について
11世紀後半の東アジア
(地図は吉川弘文館の「世界史地図」を利用しました)

  中国西北にいたタングート(党項)族の李元昊が1032年自立して「夏王」を称し、1038年には「大夏皇帝」を称しました。 この国を中国では「西夏」と呼びました。 首都は興慶(現在の銀川)でした。
  西夏は、宋、遼、ウィグル、吐蕃などと争いながら、東西交通の要路を占め、牧畜と農耕の両方を主産業としていました。 儒教・仏教も栄えていたそうです。
  建国当初に西夏文字が制定されました。 作者は李元昊自身という説もありますが、「野利仁栄(やりじんえい)」という人とする説が有力です。 李元昊はこの文字が大変気に入り、唐の翰林院に当る「蕃字院」を設けました。

西夏王の陵
  1226〜27年に、モンゴルのチンギスハンが侵入しました。 第9代皇帝献宗(1223-26)の甥南平王らが必死の抵抗を続けましたが西夏は滅亡しました。
  ”モンゴルの兵団が通過したあとには、無人の城砦と野を蔽う死体のみが残された。”(井上靖「蒼き狼」)
  西夏が滅んだあとも200年近く、西夏文字は一部の人たちが使用していましたが、やがて読み書きできる人はいなくなりました。
  20世紀になって、ロシアのコズロフらがこの文字を発見し、現在では日本の西田さんらにより大部分が解読されています。
  西夏文字は全部で6133個ありますが、漢字と異なり、どの字も同じくらいの画数があるように見えます。 簡単な字でも、例えば「一」に相当する字でも、6画もあります。
  漢字は長い年月かけて半ば自然に洗練されたものですが、この文字は短期間に人為的に作られています。 どのような人が、どんな情念を持って作ったのでしょうか、非常に興味があります。


 謝辞 :  
   「番漢合時掌中珠」のコピーは、山形市の酒井さんから頂きました。「天慶宝銭」の文字を探してくださったのも酒井さんです。
   西夏文字のフォントは、「インターネット西夏学会」から頂きました。 文字コードは、学会の高橋さんから教えて頂きました。
   西夏王の陵の写真は、蘭州さんの「はるかな銀川」から、許可を得てお借りしました。
  ありがとうございました。

 参考文献 :
   酒井俊昭、「西夏銭の銘文」、『収集』2001年2月号
   世界の文字研究会編、「世界の文字の図典」、吉川弘文館、1993
   河野六郎・千葉栄一・西田龍雄、「言語学大辞典.別巻.世界文字辞典」、三省堂、2001
   西田龍雄、「アジア古代文字の解読」、中公文庫、2002
2003.1.13