イスラームのコイン


 ● ムハンマドとその後継者
  ムハンマドは西暦570年に生まれました。 ムハンマドが「神の使徒」として伝道を開始したのは、西暦614年ころのことです。 622年にはメディナに拠点を移しましたが、そのとき彼の弟子は数百人でした。
  ヒジュラ暦第3月13日(西暦632年6月8日)62歳で没したとき、ムハンマドの王国は、まだアラビア半島のごく一部の小国にすぎませんでした。
  この当時、ビザンチン帝国とササン朝ペルシャの二大帝国が肥沃なシリアの地をめぐって争い、両国は長年の戦いで疲弊していました。 ムハンマドの後継者たちが、漁夫の利を得るにはうってつけの情勢でした。
  後継者たちは、636年にヤルムークでビザンチンを破り、637年にカーディシャーでササン朝ペルシャを破るなどし、10年もたたないうちに西アジアの大帝国となりました。
  大帝国となったイスラームですが、当初は敵国のビザンチン帝国とササン朝ペルシャの貨幣をそのまま使い、その後それらを模倣した貨幣を発行しました。

ビザンチン帝国の銅貨の模倣貨 (7世紀)
表はビザンツ皇帝です。
裏のmの下に発行地名Emesaのアラビア文字を刻んでいます。
4.3g 20〜21mm

  この当時は、他国の皇帝像や他の宗教の図でも平気で使っていたのです。
  (ビザンチン帝国やササン朝ペルシャのコインについては、 「ビザンチン帝国のコイン」「ササン朝ペルシャのコイン」などをご覧ください。)


 ● アブド・アルマリクの改革
  通常、商人の社会的な地位が低い”士農工商”的な風潮が多いなか、イスラーム世界での商人の社会的地位は高いものでした。 さらにイスラーム帝国が拡大する過程で、交通路・商人宿の整備、為替の発達など、イスラーム商人が大いに活躍できる舞台が出来上がりました。
  そのため、他国の模倣貨ではなく、独自の貨幣制度を持つ必要性が増してきました。
  695年、ウマイヤ朝第5代のカリフ、アブド・アルマリク(アブドゥル・マリク)が貨幣改革を行い、ダマスクスでイスラーム独自の貨幣を発行しました。 「ディーナール金貨」と「ディルハム銀貨」を基本とするもので、貨幣から偶像を排し、クルアーン(コーラン)やアザーン(礼拝の言葉)の言葉を刻みました。 交換レートは、ディーナール金貨1枚=ディルハム銀貨22枚です。 銅貨としては、「ファルス銅貨」が発行されました。
ウマイヤ朝のディルハム銀貨 (8世紀)
2.7g 22mm
ウマイヤ朝のファルス銅貨 (8世紀)
2.5g 19〜20mm
アッバス朝のディーナール金貨 (8〜10世紀)
表中央は、アザーンの一節で、「アッラーの他に神はいない。彼にパートナーはいない。」
裏中央もアザーンの一節で、「ムハンマドはアッラーの使徒である。」と書かれています。
3.9g 18mm
アッバス朝のディルハム銀貨 (9世紀)
このコインの銘文については、「イスラームのディルハム銀貨」で詳しく説明しています。
2.9g 20mm
  754〜775年のバグダード建設では、労働者の日当として1/3ディルハム、棟梁は1ディルハムが支払われています。
  ムハンマドの時代、兵士に定まった俸給はありませんでした。 その代わり戦いに勝ったときの「戦利品(ガニーマ)」のうち、5分の1をカリフに送付し、残りを兵士たちで分配しました。
  その後、2代目カリフのウマル(在位634〜644)は兵士に一定の「俸給(アター)」を与えるようになりました。
    ・717〜20年ころ、歩兵300ディルハム
    ・750〜54年ころ、歩兵960ディルハム、騎兵1920ディルハム
     (これは、「ホラーサーン軍」と呼ばれるエリート軍団の兵士たちの俸給です)
    ・813〜33年ころ、歩兵240ディルハム、騎兵480ディルハム
などの記録があります。(いずれも年俸です)
  これらから、1ディルハムを我々の1万円くらい、1ディーナールを20万円くらいと想定してはいかがでしょうか。

  イスラームの商人たちは、中国の絹・陶磁器、南アジアの香辛料・宝石、ロシアや中央アジアの毛皮・奴隷などを買い、ヨーロッパに売りました。
  金貨は主にヨーロッパとの貿易に、銀貨はアジアとの貿易に使われることが多かったようです。


 ● イスラームの分裂
  9〜10世紀ころから、バイキングやインドなどとの貿易赤字となり、かつ国内の銀山が枯渇し始め、ディルハム銀貨が極端に不足しました。   兵士たちに満足な給料を支払えなくなり、中央政府は弱体化しました。
  地方の有力者たちは、中央政府から独立し、自分たちの王国・帝国を建国しました。
  彼らは、独自の貨幣を発行しました。
  ディーナール金貨は、ヨーロッパ世界との交易用ですので、重さ4グラム前後のほぼ純金で、品質の劣化はありませんでした。
  しかし、銀貨や銅貨は、為政者の都合でしばしば品質の劣化したコインとなりました。 ディルハム銀貨は銅貨となったこともあります。
アルモハード帝国のディルハム銀貨 (12〜13世紀)
イベリア半島のコルドバを首都にしていた国です。
当時コルドバは、世界最大級の百万都市でした。
世界的にも珍しい正方形のコインです。
1.4g 13.7×13.5mm
アイユーブ朝のディーナール金貨 (12世紀)
カイロを首都とし、十字軍と戦った国です。
十字軍を悩ませたアラディンの子が発行したコインです。
5.3g 19.5mm
アイユーブ朝のファルス銅貨 (13世紀)
六光星のデザインです。
3.2g 20.2mm
セルジューク・トルコのディルハム銅貨 (11〜13世紀)
イスラームのコインには珍しく、人物像が描かれています。
10.3g 26〜27mm

  13世紀になると、モンゴルが侵入してきました。
  1258年、チンギス汗の孫のフラーグが、アッバース朝のバグダードを攻め落とし、イル汗国を建国しました。
  モンゴルは駅伝制度を整えるなどをしたため、広大な地域の交易が活発になりました。 しかも、モンゴルの王たちはイスラーム教に改宗したため、イスラーム商人たちの交易はますます盛んになりました。
  また、モンゴルは銀を基準貨幣としたため、世界中の銀が大移動しました。 イスラームの銀不足は解消されました。
イル汗国のディルハム銀貨 (13世紀)
モンゴル民族の国です。 バグダッドを首都としていました。
コインの表はアラビア文字で、裏はモンゴル文字です。
2.2g 21mm
チムール帝国のタンカ銀貨 (14〜15世紀)
イル汗国を滅ぼしたチムールは、その後明を倒すべく東征しましたが、途上に病没しました。
5.1g 23.4mm
ムガール帝国のルピー銀貨 (17世紀)
インド北部の大帝国です。 ルピー銀貨は、数百年間インドの基準銀貨でした。
11.2g 21.5mm

 ● 最後の大帝国
  オスマン・トルコは1299年ころ、小アジアの西北地方に興った国です。 1402年にチムールに破れ、一時は滅んでしまったかにみえましたが、その後再興し、1453年にはムハメド2世がビザンチンを併合し、アジア・アフリカ・ヨーロッパにまたがる巨大帝国に発展しました。
  オスマントルコの基準貨幣は、ディルハム銀貨に代わる「アクチェ銀貨」と呼ばれるものでした。
オスマン・トルコのアクチェ銀貨(15世紀)
ビザンチン帝国を滅ぼしたムハメド2世が発行したものです。
1.0g 11.0mm
  軍人や役人の給料はこのアクチェ銀貨で支払われました。
   ・財務長官 年俸15〜24万アクチェ (オスマン朝ではNo4の高級官僚)
   ・首都コンスタンチノープルの知事 日給500アクチェ
   ・マドラサ(官吏養成学校)の教授 日給100、60、50、・・・、20アクチェ(学校の格式による)
オスマン・トルコのディーナール金貨(16世紀)
有名なスレイマン大帝が発行したものです。
3.4g 19.5mm
オスマン・トルコのクルシュ銀貨(18世紀)
クルシュ銀貨は、ピアストル銀貨とも呼ばれました。
1クルシュは、貨幣制度上は120アクチェに相当しました。
22.2g 38mm
  16世紀後半、新大陸発見に伴う西ヨーロッパの「価格革命」の波がイスラーム世界にも押し寄せ、貨幣価値が数分の1に下がりました。 打撃を受けたのは俸給生活者で、皇帝の近衛兵のイエニチェリでさえ暴動を起こしたことがあります。
  さらに17世紀、喜望峰周りのインド洋航路が開拓されると、イスラーム商人は急激に競争力を失い、最後の大帝国オスマン・トルコも衰退してゆきました。
  基準銀貨だったアクチェ銀貨は、当初は1.2gのほぼ純銀でしたが、次第に劣化し、19世紀には純銀量が1割以下になり、遂に発行されなくなりました。


  現在のモロッコ、UAEなどの貨幣単位は「ディルハム」、
  イラク、クウェート、ヨルダン、リビアなどの貨幣単位は「ディーナール」です。
  右は、2003年に発行されたイラクの1000ディーナール紙幣です。
  中央には中世のディーナール金貨が描かれています。



 ● イスラームの富  (( )内は、当時の労賃などを基準に、銀1g=3000円、金1g=3万円で評価した現代での価値)
  636年、イスラームがクテシフォンでササン朝から得た戦利品、90億ディルハム(2.6万トン)  (78兆円)
  750年ころ、アッバース朝の税収入、3〜4億ディルハム(殆どが国内の異教徒の農民からの地租)  (3兆円)
  800年ころ、アッバース朝がビザンチン帝国から受け取った和解金、30万ディーナール  (380億円)
 1018年、ガズナ朝がインド遠征で略奪した戦利品、1000万ディルハム  (900億円)
 1250年ころ、女性スルタン、シャジャル・アッドゥッルがルイ王らの十字軍捕虜を釈放したときに得た身代金、80万ディーナール(1000億円)   ヨーロッパ側の記録によると、40万リーヴル(1200億円)
 1324年、マリ帝国のマンサ・ムーサ王がメッカ巡礼のときにばらまいた金、ラクダ100頭分、約13トン (3900億円)
 1643年、ムガール帝国のシャー・ジャハンが建設したタージ・マハルの建設費用、500万ルピー (1700億円)


参考資料
  佐藤次高、『世界の歴史Gイスラーム世界の興隆』、中央公論社、1997
  F・K・ヒッティ著、岩永博訳、『アラブの歴史』、講談社学術文庫、1982
  佐藤次高ほか、『岩波講座世界歴史10.イスラーム世界の発展』、岩波書店、1999
  羽田正ほか、『岩波講座世界歴史14.イスラーム・環インド洋世界』、岩波書店、2000
  三浦徹、『イスラームの都市生活』、山川出版社・世界史リブレット、1997
  佐藤次高、『イスラームの生活と技術』、山川出版社・世界史リブレット、1999
  イブン・バットゥータ著、家島彦一訳、『大旅行記』、東洋文庫、1996〜2002
  歴史学研究会編、『世界史史料2 南アジア・イスラーム世界・アフリカ』、岩波書店、2009
  M.Mitchiner, "Original Coins and Thier Values - THE WORLD OF ISLAM", Hawkins Publications, 1977
  関眞興、『「お金」で読み解く世界史』、SB新書、2017
2005.4.10 初版  2018.4.20 大改訂