アフリカのコイン

左:マニラ 右:カタンガ・クロス 下:キッシー・ペニー

● カタンガ・クロス (Katanga Cross)

カタンガ・クロス
1038g 十字の長さ23cm
コンゴ南部のカタンガ地方では、銅などの鉱産資源が豊富でした。
この銅で、十字の形の銅貨が多くつくられました。 一つが1Kgもある大きなものです。 ハンダ(Handa)と呼ばれることもありますが、ヨーロッパ人からはその独特の形状から、「カタンガ・クロス」と呼ばれています。 この形状については諸説ありますが、何本もの銅貨をひもで縛るのに便利だという説があります。

起源は13世紀のお墓の副葬品にさかのぼります。 そのころは富や権威の象徴として使われてたようです。
16世紀ころから、アンゴラ経由でヨーロッパに輸出されるようになりました。
18世紀になると、この地で栄で栄えたルンダ帝国の賃金や税金として使われました。
19世紀になると、アラブの商人たちが、ケニヤ経由での東アフリカ貿易で使うようになりました。


19世紀後半になると、日常生活でも使われるようになりました。
カタンガ・クロス1個は、小麦粉10Kg,ニワトリ5〜6羽、斧6つ、布2反、ゴム4Kgなどの価値がありました。 また、ヨーロッパから来た銃はカタンガ・クロス2つと交換できました。
20世紀初頭まで、貨幣として盛んに使われたようです。



カタンガ共和国の国旗
カタンガ共和国の1フラン銅貨
1961年発行

1960年、ベルギー領コンゴが一つの国として独立しようとしたとき、裕福なカタンガ地方はそれに従わず、独自の「カタンガ共和国」を名乗りました。 彼らは、国旗や通貨にカタンガ・クロスを描きました。
それを認めない勢力との争いとなりました。 コンゴ動乱です。 ベルギー、ソ連、キューバなどが豊かな地下資源にからんで動乱に関与しました。 
1963年、国連の強い指導などでついに屈服し、現在ではコンゴ民主共和国のカタンガ州となりました。 (一時「シャバ州」と呼ばれましたが、シャバは「銅」を意味するそうです。)


● マニラ (Manilla)

腕輪型銅貨 ”マニラ”
18世紀〜19世紀前半  74.4g 60.0mm
1470年ころ、西アフリカを探検していたポルトガル人たちが、この地方で銅が「赤い金」と呼ばれて珍重され、銅の腕輪が貨幣の機能を果たしていることを知りました。 腕輪は純銅製で、長さ10cm、重さ300gもあるものでした。
ポルトガルは、アントワープの工場でこの腕輪を大量に作り、西アフリカとの交易に使いました。
この腕輪は、「マニラ(Manilla)」と呼ばれました。語源は定かではありませんが、ラテン語の MANUS(手)または、 MONILE(ネックレス)の複数形 MONILIA ではないかと推定されています。
1490年ころのポルトガルの記録によると、奴隷1人がマニラ12〜15個、1505年のナイジェリアでは、大きな象牙1本がマニラ1個、奴隷1人がマニラ8〜10個だっだそうです。



16世紀になって奴隷貿易が盛んになると、マニラの生産も盛んになりました。 そしてマニラは、西アフリカ海岸一帯の最も標準的な貨幣となり、市場での取引、結婚の結納金、罰金の支払い、祈祷師への報酬、戦争の軍資金、埋葬金などに使われました。
また、ポルトガルに代わって、フランスやイギリスが主役になりました。イギリスのバーミンガムやブリストルには大量に製造する工場ができました。
素材は、最初は純銅だったのですが、ヨーロッパ人が作るようになってからは黄銅になり、さらに17世紀になって青銅になりました。
また、腕輪の機能は形骸化され、長さ6cm、重さ75gくらいになり、とても腕につけることができないものとなりました。上の画像もそのようなマニラです。

イギリスの半ペニー銅貨
1936〜52年発行

19世紀に奴隷貿易が下火になると、マニラの役割も下火になりました。
しかし20世紀になっても、ナイジェリアのイボ族など一部の人たちは、まだ貨幣として使っていました。
1948年、イギリス政府はマニラの回収をすすめ、マニラ1個をイギリス通貨3ペンスで交換しました。交換は1949年4月1日まで続けられ、およそ3200万個が回収されたそうです。


● キッシー・ペニー (Kissi Penny/Gizi Penny)

キッシー・ペニー 18g 33cm
アフリカの西南端(現在のリベリア、シエラレオネ)では、近くの鉄山でとれた鉄をもとにつくった鉄のワイヤが貨幣として使われていました。
巾2〜3mm、長さ30〜40cmの鉄のワイヤをねじり、一方の端はつるはしの形、他方は蝶々の羽の形をした奇妙な形です。
このワイヤには魂があるものとされ、魂を失ったワイヤは、祈祷師が魂を入れるまで貨幣としては通用しませんでした。
生産していたキッシー族の名前をとって、ヨーロッパ人からは「キッシーのペニー」と呼ばれていました。

18世紀ころから使われていたらしく、20世紀初頭では、
    牛1頭 100束(20本で1束)
    花嫁  200束
    奴隷  300束
だったそうです。 

1930年代にイギリスやフランスが介入するまで、この地方一帯で広く使用されました。
1940年のアメリカ人の記録によると、50本でアメリカの1ドル、または一人一年間の主食料だったそうです。

西アフリカの各地では、このほか、砂金、金・銅の線、布、毛皮、岩塩、宝貝などが貨幣として使われていました。 おおよその交換比率は、
    イギリスの1ポンド = 砂金1/4オンス(7g) = キッシーのペニー4束(80本) = 毛皮32枚 = 宝貝8000個
でした。



      ダホメ王国の宝貝

2012.5.6  (2006.6.29 「キッシーのペニー」、2010.9.11 「西アフリカの腕輪型銅貨」 を併合し追加)