ダホメ王国の宝貝

(地図は、昭和8年出版の三省堂「最新世界地図」を利用しました)

採れて間のないキイロダカラ
20-23mm 1.7-3.6g
  ● ダホメ王国
  ダホメ王国は、西アフリカの現在のベナン共和国にあった人口およそ20万人の国です。 17〜18世紀が最も栄えていた時期でした。
  王は神聖なものとされ、絶大な権力を誇っていました。 常備軍は『アマゾン軍団』と呼ばれ、5000人のよく訓練された女性兵士たちでした。

  ● ダホメの市場
  国は豊かで、貧民やこじきはいませんでした。
  市場では、ヤムイモ、トウモロコシ、ヤシ油、ヤシ酒、塩、蜂蜜、豚肉、手工業品などが売買されていました。 ここで貨幣として使われたのは宝貝で、宝貝がないとまったく買い物ができませんでした。 「カワリ」と呼ばれていました。
  商品の価格は、その市場に最初に来た女性が決めることになっていました。 そしてその価格は、その日一日は変わることなく、値引きなどもありませんでした。
  荷物運搬人の賃金が1日宝貝120個、にわとり1羽が宝貝200個、おとなの1日の生活費が宝貝100個くらいだったそうです。

  ● 「1連」の個数
紐を通すため背中を開けた宝貝
21-23mm 2.1-2.6g
  宝貝は穴をあけ、40個ごとに紐に通し、1連として使いました。 この1連の宝貝の個数は39個なのですが、40個として通用しました。
  さらに、王様が使う1連は35個くらいしかありませんでしたが、これも40個として通用しました。

  ● 80進法
  宝貝を数えるとき、「80進法」という慣習がありました。 仮に貨幣の単位を「セディ」とすると、1セディ=宝貝1個、10セディ=宝貝10個なのですが、100セディ=宝貝80個なのです。 さらに、1000セディ=宝貝800個、1万セディ=宝貝6400個となります。
  今、「ヤシの実」ひとつが1セディとすると、商人が100個のヤシの実を100セディ(=宝貝80個)で仕入れ、市場でひとつずつ売ると、宝貝100個になります。 この差の20個が商人の利益となるのです。

  ● なぜ宝貝を?
(地図は、帝国書院の「新詳高等地図」を利用しました)
  宝貝は西アフリカの各地で使用されていました。 この宝貝は、イスラムの商人によりモルディブ諸島から北アフリカ、サハラ砂漠を経由して運ばれたようです。 13世紀ころから、ダホメ王国の北にあったマリ帝国でも使用されていることが記録されています。
  なぜ宝貝を貨幣にしているのですか? 
  この質問に、ダホメの王はこう答えたそうです。
    ”誰もが模造できない”
    ”誰もがひそかに金持ちになることができない”

  ● 奴隷の輸出
  一見のどかな王国のようですが、王の命令の前には、人の命は限りなく小さなものでした。
  国内では、王のスパイたちが不穏分子を捕らえました。 『恐怖政治』です。
  また毎年、近隣諸国の人と財を奪う戦を行いました。 獲得した捕虜は、一部を先祖への貢ぎとして生贄にし、残りをヨーロッパ人に売却しました。 ヨーロッパ人からは火器を買い、ますます強力となりました。 この地帯はヨーロッパ人からは『奴隷海岸』と呼ばれました。
  奴隷の輸出は、16世紀に始まり、アメリカ大陸での需要の高まりで、年を追うごとに盛んになり、奴隷の値段もますます高値になりました。
   ・17世紀後半 宝貝1〜3万個 (4〜7ポンド)
   ・18世紀前半 宝貝4〜5万個 (10〜20ポンド)
   ・18世紀後半 宝貝15〜20万個  (20〜30ポンド)

  ● その後の王国
ガーナの20セディ白銅貨(1995年発行)
  1848年、ヨーロッパ人から宝貝を輸入することにしました。 ヨーロッパ人は、喜望峰周りの船で何億個もの宝貝を運んできました。 そのため、大きなインフレになり、経済は大混乱しました。
  遂に1894年、ダホメ王国はフランス領となり、宝貝の公的な使用も1901年に終了しました。
  その後1965年、ダホメ王国の西隣に建国されたガーナ共和国で新たな貨幣制度が設けられたとき、貨幣の単位は「セディ」と決められました。 セディとは貝殻の意味です。

参考資料
  カール・ポランニー著、栗本慎一郎ほか訳、「経済と文明」、ちくま学芸文庫、2004
  福井勝義ほか、「世界の歴史.24.アフリカの民族と社会」、中央公論社、1999
  坂井信三、「西アフリカの王権と市場」、山川出版社「市場の地域史」、1999
2004.12.26  2006.6.30Update